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世界的登山家ラインホルト・メスナーが来日し、登山ブームに沸く日本の登山愛好家たちに向けメッセージ 「ヒマラヤ 運命の山」会見(2011.07.06)

数々の偉業を成し遂げてきた登山家ラインホルト・メスナーの『裸の山 ナンガ・パルバート』を映画化した「ヒマラヤ 運命の山」のラインホルト・メスナーがドイツより来日、6日に記者会見を行った。会見当日には、メスナー氏の著作を数多く出版している『山と渓谷社』の川崎深雪取締役副社長より感謝状が授与され、日本トレッキング協会の理事を務める女優・市毛良枝からの花束贈呈、また登山家・大蔵喜福もお祝いに駆けつけた。

多くの登山家が挑戦し命を亡くしきた“裸の山”と呼ばれるナンガ・パルバート(標高8125m)に、1970年、25歳だったラインホルト・メスナーは悪戦苦闘の末、弟ギュンターと共に子供のころからの夢だった前人未踏のルパール壁の初登攀を果たす。しかし難所の下降にほぼ成功しかけた時、弟を雪崩で失い、この悲劇がドイツの国中を騒がすスキャンダルへと発展していく。

「スターリングラード」などのドイツを代表するヨザフ・フィルスマイアー監督がメガホンをとった本作。経緯についてメスナー氏は「40年前の悲劇を書きとめておかなくてはならないという内なる想いから、凍傷で足の指を7本切断するために入院していた時間にこの原作を書き上げた。そしてドイツの有名な監督から映画化の話があり、山頂の様子など私自身が一番よく知っているので協力することとなった」と語る。実際、メスナー氏の当時のメモをもとに、テント、衣装は忠実に再現され、氷を割る音や、打ち込まれるアイゼンの音までもナンガ・パルバートで録音するなど、当時を再現するための無数の努力により映像化された。「ほとんどを頂上付近で撮り、監督も60歳近かったことから、撮影は沢山の危険が伴った。劇中の登山シーンは、思ったより軽い装備で登っているように見えるだろうが、70年代の登山では今ほどの装備もなく、今から思えば信じられないことだが、あれが現実だった。実際にできあがった作品を観た時は、まるで当時の実際の映像を観ているかのようで、1970年の私たち兄弟が経験したことに思いを馳せた」と感慨深げに語った。

エクストリーム・クライマー(極限の環境でチャンレンジする登山家)として知られるメスナー氏。これまで、「七大陸最高峰」を含む8000メートル峰14座すべての登頂に成功したほか、数々の超人的記録を打ち立て、世界でもっとも成功をおさめた登山家として40年以上も君臨している。「これまで8000メートル級の山には18回登っているが、頂上だけを目指しているわけではなく、いかに難しいルートで自分なりの目標を達成するかに重きをおいてきた。自分なりの登り方を追求するためには、精神力がなにより大切だった。20代の頃は経験の無さからくる危険な登山も多くあったし、分裂症的な限界状況になったことも何度もあった」と明かした。

また、登山ブームに沸く日本の登山愛好家たちに向け、「今日本では様々な年齢の方が登山を楽しんでいるそうだが、単なるスポーツではなく、自分の経験となるような登山をしてほしい。そして山には、自然に対峙する人間という関係があり、あくまで自然はそこに存在するだけで、まちがいを犯すのは人間である。自分の限界を知り、注意深く一歩一歩踏みしめて挑んでもらいたい」とアドバイスした。

公開情報 フェイス・トゥ・フェイス配給「ヒマラヤ 運命の山」は8/6(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか全国順次ロードショー
公式サイト:http://www.himalaya-unmei.com/

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