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日活創立100周年を祝って!日本映画黄金期を支えたスターが手型モニュメント除幕式に集結(2012.09.11)

9月10日に100周年を迎えた日活(株)は同日、日活撮影所で記念式典と手型モニュメントの除幕式を開催。この日除幕された手型モニュメントは、日本映画の黄金期を支えた俳優陣60名と監督4名の手型が施されており、今後は日活撮影所に常設展示される他、京王線飛田給駅でも年内に一般公開される予定となっている。式典では佐藤直樹社長の挨拶に続き、日活の略歴が映像で紹介され、手型モニュメントの協力者を代表して俳優の宍戸錠、浜田光夫、和泉雅子、松原智恵子が登壇し、佐藤社長と共に除幕式を行った。

日活は、日本で初めて映画を興行した「吉澤商会」、日本初と言われる映画監督 牧野省三や映画スター 尾上松之助を輩出した「横田商会」、中国の革命家 孫文を支援したことでも有名な梅屋庄吉率いる「エム・パテー商会」、映画館を運営していた「福宝堂」の4社が合併し、1912年9月10日に「日本活動写真株式会社」として誕生した映画会社。

佐藤社長は「本日、日活は100歳の誕生日を迎えることができました。これも偏にご臨席いただいておりますOB、OG、スタッフ、株主様、お取引各社様、日活映画を応援していただいた様々な方々のご助力あってのものと心より感謝しております。この撮影所からは様々な大ヒットタイトル、名作、傑作が世に送り出され、ご来場の皆さんはまさしく日本映画の青春時代と共に生きてこられました。本日はそのメモリアルとして日本映画を牽引されてきた64名の方々に敬意を表し、手形モニュメントを作成いたしました」と挨拶。

次なる100年に向けた新たな挑戦の第1弾としては、手型モニュメントにも参加している鈴木清順監督、宍戸錠主演の「野獣の青春」を、「ミッション・インポッシブル2」「レッド・クリフ」等のジョン・ウー監督がリメイクする企画であることも明かし、今後も日本のみならず積極的に海外との共同製作を推進していくことを発表した。

日活第1期ニューフェイスに合格し、「エースのジョー」の代名詞でトップスターとなった宍戸錠は「なんと58年もここで働いてきました。いまだにやってます」と語ると場内からは拍手が起こり、「何でやってるかっていうと面白いから。本当に映画作りほど面白いことはない!やりたいことがどんどん出来る。今日はこんなに皆さんに来ていただいて、話を聞いて下さり、見つめて下さることに、ものすごい感謝の念を感じています。本当にありがとうございました」と感慨深げに挨拶。

吉永小百合との純愛コンビで一世を風靡した浜田光夫は「4月8日に川口市で植樹祭に参加して来ました。何で4月8日なのかと思ったら、50年前の4月8日が『キューポラのある街』の全国一斉封切日だったそうです。日活誕生50年の節目にブルーリボン賞を総なめにした『キューポラのある町』が生まれたわけです。それを機に、裕次郎さん、小林旭さん、錠さんたちのアクション映画一辺倒から、青春純愛ものを一つの柱にして、二本立てとしてやっていこうとなりました。今は高層ビルが建ち、キューポラの様子も変わり、50年の歴史の重さを感じました」と明かした。

吉永小百合、松原智恵子と「日活三人娘」を形成した和泉雅子は「入社した時は13歳でした。お蔭さまで65歳になりまして、日活は私の青春。こんなにいい会社はありませんでした。最近は『女優やめたの?』なんて言われちゃいましてね。やめたわけじゃございません。売れてないだけなんです」とあっけらかんと語ると場内からは笑いが。「100年、その半分は日活と共に育ってまいりました。本当に今日は呼んでいただいてありがとうございます」と楽しそうに語った。

アクション、青春映画や日活TV制作の「石坂洋次郎アワー」のヒロインとして幅広く活躍した松原智恵子は「私は16歳の時に日活の門をくぐりました。そして昭和47年、日活が転換する年にやめましたけれども、その10年間というのは、素人の私をスタッフ、共演者の皆さんがとっても優しく見守ってくれて、今ある私を育ててくれました。日活は私にとって恩人であり、懐かしい場所です。その日活が100周年を迎える。こんな嬉しいことはありません。これからもいっぱいお仕事を、社長お願いしますね。映画を作って、200年も300年も迎えられることを願っております。本当におめでとうございました」と締めくくった。

公開情報 公式サイト:http://www.nikkatsu.com/100th/

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